東京タワーについて調べてみた件

  • 地上デジタル放送用アンテナ設置以前の全体像のカラー写真
  • フットタウンの全体像
  • フットタウンにリニューアル以前のタワービルの全体像
  • スペシャルライトアップ各種
  • 東京タワー(とうきょうタワー、英: Tokyo Tower)は、東京都港区芝公園にある総合電波塔の愛称である。正式名称は日本電波塔(にっぽんでんぱとう)。1958年12月23日竣工。東京のシンボル・観光名所として知られる。

    概要

    日本の「塔博士」とも称される内藤多仲(ないとう・たちゅう)らによって設計された(詳細は設計を参照)。

    高さは333mと広報されており(海抜351m)、塔脚の間隔は88.0m。総工費約30億円、1年半(1,974,015時間/543日間)と延べ219,335人の人員を要して完成した。地上125m(海抜約150m)と223.55m(海抜約250m)に展望台を有したトラス構造の電波塔である。

    西側、六本木、青山方面を見る(2008年7月10日撮影)

    北側、霞が関、虎ノ門方面を見る(2008年7月10日撮影)

    東側、汐留、浜離宮庭園方面を見る(2008年7月10日撮影)

    南側、田町、品川方面を見る(2008年7月10日撮影)

    昼間障害標識として、頂点より黄赤色(インターナショナルオレンジ)と白色を交互に配した塗装となっている。テレビおよびFMラジオのアンテナとして放送電波を送出(#送信周波数・出力を参照)、また東日本旅客鉄道(JR東日本)の防護無線用アンテナとして緊急信号を発信する他、東京都環境局の各種測定器なども設置されている。

    長らく高さが日本一であったというイメージが強いが、実際に日本一高かったのは1968年6月26日に小笠原諸島が日本に返還され南鳥島ロランタワーと硫黄島ロランタワーに抜かれるまでの約9年半と、対馬(長崎県)のオメガタワーが解体されてから東京スカイツリーに抜かれるまでの約11年間である。ただし、自立式鉄塔としては東京スカイツリーに抜かれるまでの約51年半は日本一の高さであった。現在は東京スカイツリーに次ぐ日本で2番目に高い建造物である。尚、重量については約4千トンとされる。

    運営会社

    東京タワーの建主は日本電波塔(にっぽんでんぱとう)株式会社であり、管理ならびに運営も同社で行っている。

    1957年5月、「大阪の新聞王」と呼ばれ当時は産業経済新聞社、関西テレビ放送、大阪放送(ラジオ大阪)各社の社長を務めていた前田久吉により設立。久吉はタワーの完成とほぼ同時の1958年、産経新聞社を国策パルプ工業(現・日本製紙)社長水野成夫に譲渡してその経営から手を引いたが、東京タワーとラジオ大阪の経営には引き続き携わった。この結果、日本電波塔は当時の産経新聞グループはもちろん、その後のフジサンケイグループからも完全に切り離されて前田家主導の同族企業となった。なおラジオ大阪も2005年にフジサンケイグループ入りするまで、前田家主導で独自の経営をしていた。

    久吉はタワーの建設候補地として千葉県富津市鹿野山に山林を取得していたが、これを有効活用するため1962年にマザー牧場を開設し、傘下に収めている。この関係で、マザー牧場などと共に、同市を中心とする地域で整備されたかずさアカデミアパークの再建スポンサーを務めている。

    1964年には敷地内に東京タワー放送センター(現・東京タワーメディアセンター)を建設し、同年開局した日本科学技術振興財団テレビ事業本部(東京12チャンネル)に賃貸した。この建物は、事業を承継したテレビ東京が1985年まで本社として使用していた。テレビ東京天王洲スタジオ完成後の2000年より日本電波塔による自主運営となり、2005年7月には子会社「東京タワー芝公園スタジオ」(後に東京タワースタジオ)に移管され、2012年に閉鎖されるまでテレビスタジオとして利用された。なお、東京タワースタジオ閉鎖後、内部改装を施し「東京タワーメディアセンター」に名称を変更、2017年3月時点でも営業を続けている。

    また1960年代に東京タワーへのアクセスとして、日本電波塔自ら浜松町?東京タワー間1.2kmにモノレールの敷設を計画したが、これは実現しなかった。

    日本電波塔は、エフエム東京(TOKYO FM)の大株主(学校法人東海大学に次ぐ第2位)でもある。Kiss-FM KOBEの経営破綻による新会社・兵庫エフエム放送にTOKYO FMとともに19.2%を出資。また2010年10月1日現在、エフエム大阪の株式20%に出資している。

    歴史

  • 1957年(昭和32年)
  • 5月8日 – 管理会社となる日本電波塔株式会社を創立。
  • 6月29日 – 地鎮祭が執り行われ着工。
  • 7月15日 – 設計図の作成が終了。
  • 9月21日 – 塔脚第一柱を設置し、定礎式を挙行。
  • 1958年(昭和33年)
  • 10月9日 – 審査会において愛称「東京タワー」を決定。
  • 10月14日 – アンテナ(80m)を設置。
  • 12月7日 – 公開開始(プレオープン)。
  • 12月23日 – 完工式挙行、正式オープン。
  • 12月24日 – 9時より一般公開。
  • 1959年(昭和34年)
  • 1月10日 – NHK教育テレビジョン(現在のNHKEテレ)がVHF1chで放送開始(同年4月にNHK総合テレビジョンと入れ替わる)。
  • 2月1日 – 日本教育テレビ(NET、現在のテレビ朝日)がVHF10chで本放送開始。
  • 3月1日 – フジテレビジョンがVHF8chで本放送開始。
  • 9月20日 – 南極観測隊カラフト犬(タロとジロ)の記念像の除幕式を挙行。
  • 1960年(昭和35年)
  • 1月17日 – ラジオ東京(現在のTBSテレビ)が赤坂の自社敷地から主送信所を移転する(送信は移転前からVHF6ch)。
  • 5月16日 – NHK教育テレビジョンの送信所を紀尾井町より移転(送信は移転前からVHF3ch)。
  • 1962年(昭和37年)
  • 3月29日 – 昭和天皇・皇后夫妻が東京タワーを見学される。天皇が訪れたのは、1958年の竣工以来はじめて。
  • 1963年(昭和38年) – 返還前の東京都小笠原村南鳥島に、高さ411.48mの南鳥島旧ロランタワーが竣工する。
  • 1964年(昭和39年)
  • 返還前の東京都小笠原村硫黄島に、高さ411.48mの硫黄島ロランタワーが竣工する。
  • 4月12日 – 日本科学技術振興財団テレビ事業本部(現在のテレビ東京)がVHF12chで本放送開始。
  • 1965年(昭和40年)12月24日 – イルミネーションが連夜の点灯となる。
  • 1966年(昭和41年)1月2日 – 来塔者数が3000万人となる。
  • 1967年(昭和42年)7月28日 – 特別展望台オープン。
  • 1968年(昭和43年)6月26日 – 小笠原諸島が返還され南鳥島と硫黄島のロランタワー(411.48m)が日本一高い建造物となり、東京タワーは日本で3番目に高い建造物となる。
  • 1970年(昭和45年)
  • 3月20日 – 東京タワー蝋人形館が3階にオープン。
  • 3月23日 – 蝋人形館経営者のジョージ・ドラッカーとヴィッキー・クロフォードが、特別展望台で和装にて結婚式を行う。
  • 4月26日 – FM東海から事業を譲り受けたエフエム東京が80.0Mc(現在はMHz)で本放送開始。
  • 10月3日 – NHK-FM放送の送信所を紀尾井町より移転(送信は移転前から82.5Mc)。
  • 11月10日 – 日本テレビ放送網が麹町の自社敷地から主送信所を移転する(送信は移転前からVHF4ch)。これにより東京都のテレビ局の送信所が一本化される。
  • 1971年(昭和46年)8月18日 – 来塔者数が5000万人となる。該当者は都内の23歳の男子学生で自分が5000万人目になれないかと思って来塔し、記念品として冷蔵庫・カラーテレビ・ギフト旅行券・オートバイなどの記念品を贈られた。
  • 1973年(昭和48年)
  • 10月10日 – 体育の日に大展望台までの外階段を駆け上る体力テストを開始。
  • 1975年(昭和50年) – 長崎県上県郡上対馬町大増(現・対馬市上対馬町大増)に高さ454.830mのオメガタワーができ、日本で4番目に高い建造物となる。
  • 1977年(昭和52年)
  • 6月1日 – 電波の日のこの日に「電波塔の維持運営を通じて放送の普及と重要無線通信の疎通に多大の貢献」をしたとして当時の郵政大臣、小宮山重四郎より表彰される。
  • 7月11日 – タワー大神宮創建(23区内で最も高い場所にある神社)。
  • 1978年(昭和53年)4月28日 – 東京タワー水族館オープン(世界初の観賞魚水族館)。
  • 1984年(昭和59年)11月1日 – 放送大学が大学開学に向けてテレビ放送をUHF16chで、同時期にFMラジオ放送を77.1MHzで予告放送開始(翌1985年(昭和60年)4月1日に授業開始)。
  • 1986年(昭和61年)
  • 航空法改正により黄赤色と白色の塗り分けを11等分から7等分へ変更し、黄赤色の赤みを強くした。
  • 南鳥島旧ロランタワーが解体され、日本で3番目に高い建造物に返り咲く。
  • 1988年(昭和63年)
  • ロゴマークを変更。
  • 10月1日 – エフエムジャパン(現在のJ-WAVE)が81.3MHzで本放送を開始。
  • 1989年(昭和64年/平成元年)
  • 1月1日 – これまでの輪郭のみの点灯から全体を照らすライトアップが開始された。
  • 7月25日 – 来塔者数が1億人となる。
  • 1991年(平成3年)
  • 3月3日 – 「平成3年3月3日」で3が重なることを記念して記念展望券の発売、バッジや絵はがきのプレゼント、エッフェル塔へ招待するクイズなど数々のイベントが行われる。
  • 1994年(平成6年)
  • 4月 – 「東京タワートリックアートギャラリー」がタワービル4階に登場する。
  • 10月 – 硫黄島ロランタワーが運用停止、解体され日本で2番目に高い建造物に返り咲く。
  • 1995年(平成7年)
  • 1月 – 来塔者数が1億2000万人となり、日本の総人口に相当する人数が来塔したことを記念してキャンペーンを行う。
  • 11月1日 – 東京メトロポリタンテレビジョン(東京MXテレビ、TOKYO MX)が東京都初の都域民間放送テレビ局としてUHF14chで本放送開始。
  • 1996年(平成8年)
  • 4月1日 – エフエムインターウェーブ(現在のInterFM)が76.1MHzで本放送開始。
  • 1998年(平成10年)
  • 12月 – 大展望台外壁を黄赤色から白色へ変更。
  • 12月23日 – ノッポン誕生。
  • 1999年(平成11年)
  • オメガ塔(対馬オメガ局)が解体され、日本一高い建造物に返り咲く。
  • 2002年(平成14年)
  • 3月19日 – 特別展望台・大展望台をリニューアルオープン。営業時間を年間を通して22時までに延長。
  • 2003年(平成15年)
  • 10月10日 – デジタルラジオ推進協会が地上デジタル音声放送の実用化試験放送をVHF7chの帯域で放送開始。
  • 12月1日 – 放送大学以外のテレビ局が地上デジタルテレビ放送をUHF帯域で開始。
  • 2005年(平成17年)
  • 3月19日 – タワービルをリニューアルオープン(名称を「フットタウン」に変更、外壁色を濃いブラウンに変更)。
  • 12月25日 – 大展望台にハート形のイルミネーションを始める。
  • 『日本電波塔』としてDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定。
  • 2006年(平成18年)
  • 9月29日 – 来塔者数が1億5000万人となる。
  • 12月1日 – 放送大学が地上デジタルテレビ放送をUHF帯域で開始。
  • 2009年(平成21年)
  • 5月8日 – ロゴマークの変更。
  • 10月16日 – 来塔者数が1億6000万人となる。
  • 12月31日 – 開業以来営業してきた、タワー大食堂(タワーレストラン)が営業終了。
  • 2010年(平成22年)
  • 3月29日 – 建設中の東京スカイツリーが高さ338mに到達したため、日本で2番目に高い建造物となる。
  • 2011年(平成23年)
  • 3月11日 – 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で、タワー先端部の地上アナログ放送用アンテナが東に2度曲がる被害を受ける(強震により激しく振られた)。展望台にいた観客は階段で下りて避難し、けが人は出なかった。タワーの営業は同月18日まで中止となる。
  • 3月31日 – 地上デジタル音声放送の実用化試験放送終了に伴い送信終了。
  • 7月24日 – 地上アナログテレビ放送がこの日の正午で終了し、24時で地上アナログテレビ放送の送信が停止された。
  • 2012年(平成24年)
  • 2月1日 – 一部を除くアナログ送信アンテナの撤去を開始。また、前の地震で曲がった先端部の交換ならびに耐震補強も同時に行う。工事終了は2014年12月を予定している。特別展望台行きエレベーターの改修工事に伴い、同月29日まで特別展望台の営業を休止。
  • 4月22日 – この日を以ってJ-WAVEとNHK東京FMのFMラジオ放送の送信を終了。翌日にそれぞれ送信所が東京スカイツリーに移転。移転後もNHK東京FMは予備送信所として存続。
  • 7月10日 – 先端のSTアンテナの撤去を夜から開始。長さ約25m、直径約37cmの空洞の支柱を17分割に輪切りにして下から順に取り除く際に、地上306mの支柱底部から軟式野球用ボールが発見される。
  • 8月3日 – 7月10日より行われていた先端のアンテナ支柱の交換作業を午前中に完了し、一時315mだったタワーが元の高さに戻る。円柱だった支柱は四角柱となり、耐震性が向上する。
  • 10月1日 – TOKYO MXの地上デジタルテレビ放送の物理チャンネル切り替えのため、東京スカイツリーとのサイマル放送を開始。
  • 11月12日 – TOKYO MXの東京タワーからの電波の1回目の減力を実施。以後、2013年1月14日、2月4日、2月25日、3月18日に分けて段階的に減力を実施する。
  • 2013年(平成25年)
  • 2月11日 – TOKYO FMの送信用アンテナをアナログテレビ放送終了で空いた333メートルの頂上部に新設・移転し供用を開始。
  • 5月12日 – この日の正午、TOKYO MXの物理チャンネル切り替えによるサイマル放送終了に伴い東京タワーからの送信を停止。翌13日18時に東京タワーからの送信を終了。
  • 5月31日 – この日の9時、放送大学を除く地上デジタルテレビ放送7局の送信所が東京スカイツリーに移転した。当初は1月に移転予定だったが電波障害対策が必要となったため、その対策を講じてからの移転となった。送信の移転後はNHKと民放キー局5社については東京タワーを予備電波塔として使用することとなっている。
  • 6月21日 – 国の登録有形文化財に登録。
  • 11月23日 – 2020年の東京五輪招致を応援するため、南極観測隊カラフト犬像の場所を使って招致のシンボルマークを花で描くことになったため、タロ・ジロのブロンズ像を東京都立川市の国立極地研究所に移転。
  • 2015年(平成27年)
  • 6月26日 – InterFMが新周波数89.7MHzでの試験放送を開始。
  • 6月30日 – この日の18時よりInterFMが新周波数89.7MHzでの本放送を開始。
  • 7月13日 – 株式会社VIPに対しV-Low帯マルチメディア放送東京局の予備免許を交付。
  • 10月5日 – 東京地区のV-Low帯マルチメディア放送の試験電波の発射を開始。
  • 10月31日 – InterFMの旧周波数76.1MHzでの運用終了。
  • 12月7日 – 株式会社VIPに対しV-Low帯マルチメディア放送東京局の本免許を交付。
  • 2016年(平成28年)
  • 3月1日 – この日の正午よりV-Low帯マルチメディア放送「i-dio」東京局の本放送開始。開始当初はプレ放送期間と位置づけ、コンテンツプロバイダーの放送開始を持って同年7月1日に本開局した。
  • 2018年(平成30年)
  • 1月25日 – 来塔者が1億8000万人突破。
  • 3月3日 – 特別展望台を「トップデッキ」、大展望台を「メインデッキ」に改称予定。
  • 10月末 – この頃までに総務省の放送終了認可を受けた上で放送大学の地上波デジタルテレビジョン放送、FMラジオ放送を終了予定。
  • 構想

    東京タワーの建設前、放送事業者は個々に高さ153 – 177mの電波塔を建設して自局の塔から放送を行っていた。しかしこの高さだと放送電波は半径70km程度しか届かず、100km離れた銚子や水戸では満足に電波を受信することができなかった。また受信アンテナには指向性があるため、チャンネルを変える毎にアンテナの向きを各電波塔の方向に変えなければいけないという不便が生じた。

    さらに鉄塔の乱立は都市景観においても好ましい状況ではなく、当時郵政省の電波管理局長であった浜田成徳を初めとする関係者の中で電波塔を一本化する総合電波塔を求める機運が高まっているところ放送事業の将来性に着目した前田久吉と鹿内信隆の各々によって計画され、まもなく両者の計画は一元化された。

    他の計画案もあったが高さ300mを超える案は東京タワーのみで、次に高いものは200m級であり放送事業者の既存の限られた土地を利用するため展望台のないスリムなものであった。浜田は、パリのエッフェル塔を超える世界最大の塔を造り そこに展望台を設けて集客すれば建設費は10年で元が取れる、と考えていた。

    建設場所

    建設地は安定した電波を供給するために巨大な電波塔の建設が可能な広さと強固な地盤を有していること、魅力ある展望台のために工場などの煙が景観を妨げないことなど厳しい条件が求められた。

    当初は上野公園付近への建設も検討されたが海抜18mの高台にある港区芝公園地区は基礎を打ち込むための東京礫層地盤もより浅いところにあり、国の中枢機関や各放送事業者との距離が近いなど報道と観光の両面に恵まれた立地であった。

    増上寺の境内は25区画に分割された公園に指定されており日本電波塔株式会社は「紅葉山」と呼ばれる、以前紅葉館という高級料亭のあった区画を購入した。土地の買収は増上寺の檀家総代に前田が日本工業新聞の社長時代から親交があった池貝庄太郎がおり、増上寺との間を取り持って用地買収を成功させるよう働きかけた。また芝公園4丁目地区の周辺一帯は建物倒壊危険度、火災危険度、避難危険度を示す地域の危険度特性評価(東京都 2002年実施)において「相対的に危険度の低い町」を示すAAAの評価を得ており、防災面でも電波塔の立地に適していることが後に判明した。

    タワーより西側の住民は飛行機の衝突、交通渋滞、ゴミの増加、環境が悪くなり子どもに悪影響があるのではないかとタワー建築に反対の姿勢であった。東側は、当時の国鉄浜松町駅からタワーへ向かう客により潤されることを期待した。

    設計

    この塔の建設に先立ち「日本電波塔株式会社」が設立された。そして、建築設計の構造学を専門とする学者で、戦艦大和の鉄塔や名古屋テレビ塔や大阪の通天閣の設計も行い さらに数十本におよぶラジオの電波塔を設計した実績があり、日本の塔設計の第一人者である内藤多仲、および日建設計株式会社が共同で塔の設計を行なった。内藤は当時話題を提供していたドイツのシュトゥットガルトテレビ塔(216.6m)を参考に鉄筋コンクリートの塔を想定した検討を行うが、特に基礎に関して敷地の関係などかなりの困難が伴うとの判断から鉄塔で計算を進める方針となった。

    前田久吉は「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。千三百余年も前に既に高さ五十七メートル余もある立派な塔(五重塔)が日本人の手でできたのである。ましてや科学技術が進展した今なら必ずできる」と高さの意義を強く主張し、設計の条件として提示したのは、アンテナを含めた塔の高さが380mで、高所に展望台を設置し、塔の下に5階建ての科学館をつくることを挙げた。東京全域に電波を送るには380mの高さが必要と推定されていたが、380mと想定して計算すると風の影響でアンテナが数メートルも大きく揺れると計算され画像が乱れる可能性が高かったため、先端のアンテナの揺れを数十cm程度に抑え、放送に悪影響が起きずかつ関東地方全部を守備範囲にできるぎりぎりの寸法についてさまざまに計算したところ、「全高333m」という数字が導き出され、偶然「3」が続く語呂合わせのような高さになった。この高さはフランス・パリのエッフェル塔の312m(2000年現在は324m)より21m高く、当時の自立式鉄塔としては世界最高、という条件を満たしていた。

    当初は最上部で風速90m、下部で風速60mの強風と大地震(同タワーの耐震設計で考慮された水平震度は0.99Gで関東大震災時に小田原付近で推定された加速度の約2倍に相当)に遭遇しても安全な様に、軽量化に有利な電気溶接ではなく、重量がかさむが当時では確実な技術としてリベットによる接合での構造設計がなされた。風力係数は当時の建設省建築研究所の亀井勇教授に依頼し、風洞実験を行った。地震力はまだ静的解析の時代であり、鉄塔では風圧力の方が支配的であったこともあり建築基準法の地震力算定法通りk=0.16+h/400を水平震度として適用した。解析、計算は全て手計算でトラスの解法として一般的であったクレモナ図解法とカスティリアーノの定理が使用された。

    構造計算書の最終チェックは自身の設計事務所の田中彌壽雄、日建設計の鏡才吉とともに熱海にある早稲田大学の保養所「双柿舎」に3日間缶詰状態で行われた。設計を終えた内藤は「どうかね、こんなに素晴らしい眺めはない」と言った。後に立体骨組モデル応力解析ソフトウェア“FRAN”で耐力を検証しているが、かなりの精度で一致していた。また加藤勉(東京大学名誉教授・(財)溶接研究所理事長)による「東京タワーの構造安全性について」(2007年)によって、東京タワーの構造の信頼性は高いという第三者評価を受けている。当時の建築基準法では建築物の高さは最大100尺(約31m)以下と決められていたが、タワーは工作物と見なされ建築が可能となった。当初、地上約66m付近にビアレストランを設置する計画だったが結局、実現されることはなかった。これは、レストランにすると建築基準法に抵触したためと考えられている。

    建設後、電波塔集約で不満をもつ読売グループ(読売新聞、日本テレビなど)などから「エッフェル塔の猿まね」とあらぬ批判をされたが、内藤は「ある人はエッフェル塔そっくりだという。これは人が人に似ているというようなもので、一理ある見方ともいえよう。私としては端然とした姿である。この塔が好ましいと思っている」と答えている。構造美については「タワーの美しさについて別に作為はしませんでした。無駄のない安定したものを追求していった結果できたものです。いわば数字のつくった美しさとでも言えましょう」と答え、批判に対して反論するような不毛な議論は一切しなかった。

    建設

    1957年5月から6月末までの約45日間でボーリング調査を行った時点で、設計は未完成であったが、短期間に完成させなければならないため、6月29日に増上寺の墓地を一部取り壊して既に設計の決まっていた基礎部の工事が開始された。7月15日に最終的な設計図が完成し、9月21日には鉄骨の組み立てが始まった。

    施工はゼネコンの竹中工務店。塔体加工は新三菱重工(現・三菱重工業)、松尾橋梁。鉄塔建築は宮地建設工業(現・宮地エンジニアリング)が請け負った。現場指揮官は直前にNHK松山放送局電波塔を担当していた同社の竹山正明(当時31歳)。現場でのヘルメットの色は白:監督管理関係、黄:竹中工務店の社員、緑:鉄塔建方関係、灰:設備関係で色分けされた。

    基礎は海抜0mの砂利層まで掘り下げて、コンクリートを打ち込み直径が2m、長さ15mで底の直径が3.5mのコンクリート製の円柱を1脚に8本打った(後のデジタルアンテナ増設時に2本ずつ増設)。塔脚にはカールソン型応力計を埋めておき、脚を支えるための支柱をオイルジャッキで持ち上げて脚の傾きを調節する際など、各塔脚に加わる重量の計測に利用している。タワーは脚を広げた形をしているため、重みで脚が外へ広がろうとする力が加わるが、直径5cmの鋼棒20本を各脚に地中で対角線上に結んで防いでいる。

    高さ40mのアーチライン最上部までは長さ63mのガイデリックを使用し、次に80mまで組み立てるため、ガイデリックを地上53mのマンモス梁までせり上げ鉄骨を組み立てていった。80mからの組み立てはエレクターを用いて、鉄骨はエレベーターシャフト内を持ち上げていった。

    塔脚4本が地上40mでアーチ形に組まれたのは1957年12月だが、アーチ中央部が加工の段階で設計より15mm沈んでおり、梁の結合ができずに1週間原因究明に時間を費やした。しかしこの問題は、鉄骨に開けられていたリベットを差し込む穴を15mmずらすことで解決した。

    高所までの移動は、80mの足場まで4分で昇る2m四方のゴンドラ3台で対処した。

    高さ141.1m(H.14)地点まではリベットで組み立て、それ以上は防さびのため部材に亜鉛メッキを行ったことで、ボルト接合になっている。ボルトは締めた後に溶接して固めるが夏場の鉄塔は40 – 50度まで上昇し、とび職達を苦しめた。リベットは168,000本、本締めボルトは亜鉛メッキ部材の現地接合に45,000本使用している。

    アンテナの設置は当初、名古屋テレビ塔や東京スカイツリーのように塔体内を吊り上げる予定であったが、アンテナ工事は台風の多い9月に開始されたため、工事が遅れてしまいアンテナを上げる前にエレベータ設置工事を始めないと、工期に間に合わなくなってしまった。そのために、アンテナは塔本体の上に30mの仮設鉄塔を組んで仮設鉄塔の一面を開けておき、8つに分かれたアンテナ部材(最大14トン)を、下の部材から順に塔の外側から吊り上げていった。 塔体内では吊り上げた部材に順次ボルト接合を施して組み立てていき、1958年10月14日15時47分、アンテナが塔頂部に据え付けられた。

    現場鳶職人は初期に20人。仕事が増えるにつれ常時60人、タワー上部では6 – 7人で組み立てを行っていた。若頭は当時25歳の桐生五郎。桐生はタワー完成翌日に、建設中に見合いをした女性と結婚式を挙げた。建設には渡り職人も参加している。当時の鳶の平均日給は500円、タワーでは750円だった。高さを増す毎に強風に苦しめられたが、納期があるために風速15m/sまでは作業を実施した。しかし建設中の1958年6月30日10時に、昇っていた鳶職1人が強風に煽られて高さ61mから転落死し、麓にある増上寺で葬儀を行っている。

    着工から1年3か月後(543日間)の1958年12月23日、延人員219,335人にて完成し、鉄塔本体の最上部に建設に携わった96人の技術屋たちの名前が刻まれた金属製の銘板が据えられた。総工費は当時の金額で30億円であった。

    合計約4,000トンの鋼材(鉄塔本体:SS41(旧JIS。現JISではSS400。降伏強度は240N(ニュートン)/mm2)、アンテナ支持台:SHT52相当品 降伏強度 325N/mm2)が使用されたが、その中でも特別展望台から上の部分に使用されている鉄材の原料には朝鮮戦争後にスクラップされたアメリカ軍の戦車が使われている。これは当時の日本では良質の鋼材に恵まれず、またアメリカにとっても旧式戦車を売却して新型戦車を製造した方がメリットが大きかったためである。

    地上0メートル地点

    タワーの高さは標高18.000mを地盤面(G.L・Ground Line)としているため、東京湾中等潮位(T.P・TOKYO Peil)からの値を使用している。タワーは丘陵地に建っており、正面は1階が出入り口で駐車場出入り口は2階に位置している。そのため地上333mと言われてもどの部分を基準としているのかがわかりにくく、タワーを訪れても基準となる目印は特に見あたらない。一方、タワーの立面図を見ると地盤面はフットタウン1階の床と同一に見える。

    名称

    「東京タワー」の名称は完成直前に開かれた名称審査会で決定した。事前に名称を公募し、最終的には86,269通の応募が寄せられた。

    一番多かった名称は「昭和塔」(1,832通)で、続いて「日本塔」「平和塔」だった。他には当時アメリカとソ連が人工衛星の打ち上げ競争をしていたことから「宇宙塔」、皇太子明仁親王(今上天皇)の成婚(1959年)が近いということで「プリンス塔」という応募名称もあった。 しかし名称審査会に参加した徳川夢声が、「ピタリと表しているのは『東京タワー』を置いて他にありませんな」と推挙し、その結果1958年10月9日に「東京タワー」に決定した。

    「東京タワー」での応募は223通(全体の0.26%、13位)であり、抽選で神奈川県の小学校5年生女子児童に賞金10万円が贈られた。

    電波塔集約

    東京タワーの完成に先行して開局していたNHK総合テレビジョン・日本テレビ放送網(NTV、以下「日本テレビ」と表記)・ラジオ東京(1960年に東京放送(TBS)に改称。以下「TBSテレビ」と表記)は、それぞれ自局の敷地に電波鉄塔を建設してテレビ放送を行っていた。

  • NHK東京総合テレビジョン:千代田区紀尾井町(高さ177メートル。NHK千代田放送所。1982年廃止・1991年撤去。跡地はNHK千代田放送会館)
  • 日本テレビ:千代田区二番町(高さ153メートル。麹町送信所。1980年撤去。跡地は日テレ麹町ビル北館)
  • TBSテレビ:港区赤坂(高さ174メートル。赤坂テレビ鉄塔。1995年撤去。跡地は赤坂サカスのSacas広場)
  • そのため、当初は1959年に新たに開局したNHK教育テレビジョン(1月開局。当時1ch)・日本教育テレビ(NET、現在のテレビ朝日。2月開局)・フジテレビジョン(CX、3月開局。以下「フジテレビ」と表記)が利用していた(NHKは同年4月に総合テレビと教育テレビのチャンネルを交換)。翌1960年に赤坂のTBSテレビ(1月)と紀尾井町からの送信に変わっていたNHK教育テレビ(5月)も合流した。

    当初はNHKと民放6局のアンテナを東京タワーに一本化するはずだったが、調整の段階で日本テレビが「採算が合わない」「アンテナの配分が不満だ」という理由で不参加になった。しかし、実際は(テレビ業界の覇権を競う産経新聞創設者の)前田久吉と(読売新聞中興の祖であり、日本テレビ創設者でもある)正力松太郎との対立といわれる。東京タワーの完成後も日本テレビは麹町の自社敷地内のアンテナから電波を発信し続けていたが、他局に比べて放送エリアが劣るのは否めなかった。そこで同局は自社の所有地である新宿(現在の東京メトロ副都心線・都営地下鉄大江戸線東新宿駅付近。新宿六丁目の新宿イーストサイドスクエア敷地)に東京タワーの2倍もの高さを持つ電波塔「正力タワー」の建設を計画して1968年5月10日に発表。ボーリング調査や東京都に建築申請書を提出している。さらにNHKも「NHKが民放に恒久施設を借りた例がない。そんなことをしては聴視者に責任がもてない」と1969年7月2日、渋谷のNHK放送センター敷地内に高さ600mの電波塔を建てる計画を発表する。これを受けて放送事業の監督官庁であった当時の郵政省は、利害関係者である日本電波塔(東京タワーの会社)を交えて話し合うことを指示するが、日本テレビは「あくまでも実行する」と発表。しかし正力没後の翌1970年に、メインアンテナを麹町の本社から東京タワーへ移転することになった。その際、TBSが自社の予備スペースを日本テレビに譲ることでメインアンテナのスペースを確保している。これにより全放送局が東京タワーに集約された。

    塗装

    建設時の塗装は地上からH.14(地上141.1m)までは鋼材を工場にてサンドブラストしてから下塗りまで塗装し、現地搬入時に2回目の下塗りをした。接合部のリベット頭・部材エッジ部は予め下塗り塗装による増し塗りが行われ中塗り、上塗りにはフタル酸樹脂系塗料を用いて6行程行われた。H.14からH.27(地上252.65m)までは工場にて鋼材を酸洗いしてから溶融亜鉛メッキを施し現地搬入、建方、本締めボルト接合後にジンククロメート系さび止めペイントを塗装した。中塗り、上塗りは鉄鋼材と同様である。また建築当時はインターナショナルオレンジがさび止めの鉛丹と間違えられ、完成した後も最終的にはどのような色になるのかまだペインティングの途中だと思っている人がいた。

    東京湾からの潮風による腐食の防止とインターナショナルオレンジの白化現象が目立ち美観を保つ上でほぼ5年に1度の周期で約1年かけて外観塗装を補修しており、1回目(1965年)は磯部塗装が担当し2回目(1970年)以降は平岩塗装が一貫して請け負っている。平岩塗装の平岩高夫会長は前田久吉から会うたびに「鉄はサビさせてはあかんからな。大事に守ってくれ」と言われている。

    鉄塔本体の塗装工区は大展望台を境に2つに分け上部は秋に、下部は翌年の春に施工している。作業時間は日の出から営業を開始する9時までに限定されていたが現在は7時を過ぎると通勤者が増えるため、2時から7時までの5時間で作業を行う。

    最上部のアンテナを除くH.27の塔体の上から順に木製の丸太で足場を組み、まずケレン落としと呼ばれる下作業をして下塗り、中塗り、上塗りと3工程が行われるがこれは全てハケを使い人の手によって塗られる。上部のアンテナは電波を送信するため足場を組むわけにはいかず、放送電波が停止した時間に職人がアンテナをよじ上って作業をした。総塗装面積94,000m2に使うペンキの量は34,000リットルとなり、延べ約4200人が作業に当たる。使用する塗料は一斗缶に置き換えて縦に積み重ねると、東京タワーの2倍の高さになる。金属ではなく木製の丸太を使用するのは近隣への防音対策と電波への影響を避けるためであり、丸太の総数は1万本以上となる。以前にグラスファイバーのパイプを使用しようとしたことがあったがジョイント部分のクランプの使い勝手が悪く、木製の丸太に落ち着いている。また塗装期間中のライトアップは右写真のようにタワーに影ができる。

    塗装工事の最終日には、タワーのマークと職人一人ひとりの名前が刻まれた五百円玉大の記念メダルが職人に手渡された。

    全面塗替は第1回が1965年、第2回が1970年、第3回が1976年、第4回が1980年、第5回が1986年、第6回が1991年、第7回が1996年、第8回が2001年、第9回が2007年に行われているがその都度塗り足しをしているため、9回の作業で完成時より約1mm塗装が厚くなっている。

    航空法によりストロボのような白色航空障害灯を常時点滅させれば現在のペイントを変更することは可能だが周囲には住宅や高速道路があり、住民への迷惑、運転者への安全を考えるとペインティングの変更は考えにくい。2008年現在は7等分の塗り分けだが、建設当時から1986年までは11等分に塗り分けていた。また大展望台の外壁は現在は白色だが、1996年まではインターナショナルオレンジだった。

    なお塗装作業の一部にビートたけしの父である北野菊次郎が携わっていた。

    航空障害灯

    1958年3月、国際航空運送協会の太平洋・アジア地区技術会議にて離陸直後にエンジンが一つ故障した場合、コースがずれて塔にぶつかる恐れがあるため高さを70メートル低くするか航空障害灯などの設備を完全にするようにと要求があった。この時代に航空障害灯を設置する規則はなかった。

    航空障害灯は空の明るさが500ルクス以下になると自動で点滅するようになっており、日中でも急に曇ったり濃霧になった場合には点滅する。障害灯は21灯あり上から塔頂部、アンテナゲイン部、塔本体最上部(H.27/252.65m)、H.22/216m、H.17/171.7m、大展望台上部(H.13/130m)、H.7/88mに見ることができる。最上部の500W電球の交換は年に1回。NHKのSTアンテナを点検する際に、古河C&Bの社員が行っていた。アンテナは精密機械であり保守点検をとび職に任せられないため、アンテナ部門の社員が登っていた。登る時間帯は日中では強力な電波が出ており高周波焼けをしてしまう点と地平線の彼方まで見えてしまい恐怖心から動けなくなってしまう社員がいることから、放送が終了する深夜に登る。作業は5 – 6人のチームで行う。上がるのに1時間ほどかかり、交換作業は30分。恐怖で降りられなくなった場合はすぐ真下に別の社員がついて、一緒に一段ずつ降りる。

    2012年7月まで設置されていた最上部の航空障害灯と避雷針

    デジタルアンテナ上部

    H.7(地上88m)南側の航空障害灯

    避雷針

    東京タワーの避雷針は塔頂部に設置されており、以前の避雷針の1本の長さは160cm。タワーには2002年時点で、年平均13回の落雷がある。以前は避雷針を有している構造物の45度の範囲は落雷被害が低減する保護範囲があると言われていたが2003年に改訂されて、高さ20メートルをこえる建物に旧JIS規格で設置された避雷針では建物側面への落雷を防ぎきれず雷害につながる可能性があるとされた。落雷時に展望台室内にいても気づかないことの方が多く事故も報告されていないため金網で囲まれている外階段や施設屋内は落雷に対して安全性が高いと言えるが、雷は必ず避雷針に落ちる訳ではなくタワーの側面などに落ちることもあり得るため施設屋外にいる場合には速やかに避難する方がよい。

    観光施設としての東京タワー

    この塔の売り上げは観光による収入が5割を超えている。東京近辺を目的地とする修学旅行などにおける定番の行き先として定着している。開業翌年の1959年に当時上野動物園が持つ年間入場者記録360万人を大幅に抜き、来塔者513万人(1 – 12月)を記録。一時落ち込みはあったが、現在は年間300万人が来塔している。

    タワーは地方や海外からの観光客が多く利用し、地元の東京都民は「東京タワーは『おのぼりさん』が行くところ」と登ったことがないという人もいる。そのため日本電波塔株式会社では社員の意識改革を行い若手デザイナーを起用し、イルミネーションなどを企画して来塔者数を増やした。

    2008年12月23日の開業50周年に併せ、以下の事業を行った。

  • 2007年12月から2008年8月にかけて、フットタウンと大展望台を結ぶエレベーターを順次改修した。3基それぞれにテーマがあり最初に行った3号機は「光のルービック・キューブ」、2号機は「UNIVERSE」、1号機は「UFO」というテーマとなっており天井には移動時に色が変わる仕組みが施されている。また運行速度を少し速め、所要時間を1分から45秒に短縮した。
  • フットタウン1階にあり、来塔者の休憩所や食事スペースとして使用していたタワーホールを「東京タワーホール」に改称すると共に全スペースを多目的ホールに改装した。
  • 2008年8月5日よりフットタウン3階の一部を改装して「タワーギャラリー3・3・3」としてオープンし、展示スペース・ショップ・カフェの3施設を併設した。
  • 展望台

  • ルックダウンウィンドウ(1階)
  • Club333 特設ステージ(1階)
  • カフェ ラ・トゥール(CAFE la TOUR)(1階)
  • グッズショップ(2階)
  • レンタルスコープ(2階)
  • タワー大神宮(2階)

    なお、三菱エレペット人荷用は2016年より開始された改修工事によって全撤去され、三菱製の2017年製新型エレベーターへの交換が進行中である。 特別展望台のトイレは洋式で男性用、女性用が用意されている。公衆電話はあるが売店、自動販売機はない。ゴミ入れはあるが穴が缶くらいの大きさのため、基本的にゴミは持ち帰りである。大展望台2階からは「風と光のプロローグ」というテーマで装飾された階段とエスカレーターを使って特別展望台行きエレベーターホールまで行く。このため車いすは利用できない。AEDは設置されている。

    営業時間と入場料については東京タワー TOKYO TOWER 料金表-営業時間を参照のこと。ただし大晦日の大展望台の営業時間は2時(券売終了は1時15分)まで延長され、元日は6時より営業となる。特別展望台は大晦日は通常通りの営業で、元日は4時頃から入場整理券が配布され、入場制限が行われる。展望台は全面禁煙である。まれに展望台で結婚式を行いたいという問い合わせがあるが、受け付けていない。

    フットタウン

    タワーの下にある5階建ての観光・娯楽施設で、以前は「タワービル」と呼び科学館でもあった。タワーのおもりとして設計されている。過去にはTEPCOタワーランドやフジテレビタワープラザといった東京電力やフジテレビのショールームも入居していた。

  • 屋上遊園地
  • ガラスの広場 – 屋外イベント広場。
  • 東京ワンピースタワー(2015年3月13日?) – 『ONE PIECE』をテーマにしたアトラクション施設。
  • 日本情報産業新聞社
  • TOKYO TOWER OFFICIAL SHOP GALAXY(直営売店)
  • マザー牧場カフェ
  • タワーたいやき
  • 東京タワーツーリストインフォメーションセンター – JTBコミュニケーションデザインが運営する海外からの観光客向けのインフォメーションセンター。東京及び近隣地域の観光案内や外貨両替、Wi-Fiスポットやインターネットが使えるPCスペース、イベントスペース、アニメグッズショップのアニメイトJMA東京タワーで構成されている。
  • 各種土産物屋
  • 飲食店
  • 似顔絵コーナー – 以前は大展望台にあったが、フットタウンに移動している。
  • 街角で太陽光パネルの電力を使ってスマートフォンなどの充電が無料でできるシティチャージが、出入り口付近に設置されている。
  • 東京タワー水族館 – 飼育している魚類を販売している。
  • タワーホール
  • 各種土産物屋
  • 科学館
  • TEPCOタワーランド
  • フジテレビタワープラザ
  • マンモス望遠鏡(屋上)
  • ノッポンスクエア(4階)
  • ゲームコーナー(4階)
  • テレビ元気ですか(4階) – 実際に放送しているテレビの画質がどう乱れるかを実験する装置が設置されていた。
  • 蝋人形館(3階) – 日本で最初に開設されたアジア最大の常設蝋人形館。後に日本マクドナルドを創業する藤田田が、アメリカで蝋人形館のノウハウを持っていたインターナショナルレジャーコーポレーションと手を組んで実現。蝋人形発祥の地であるイギリス・ロンドンの工房から直輸入された。2001年にリニューアル。キリスト、ザ・ビートルズ、毛利衛、向井千秋などを展示。一部撮影不可。2013年9月1日閉館。
  • SPACE WAX(スペース ワックス)(3階)- 立体映像。2013年9月1日閉館。
  • ギネスワールドレコードミュージアムTOKYO(3階) – 2005年8月5日?2010年8月31日
  • とうけいプラザ、感どうする経済館(3階) – 2005年11月?2009年3月31日
  • トリックアートギャラリー(3階)
  • Gallery DeLux(3階)
  • 実際に塔の上部で使われているアンテナの展示(3階)
  • LOVE SPO TOKYO(ランニングサロン、3階)
  • TOWER GALLERY 333(3階)
  • タワー大食堂(タワーレストラン)(1階) – ?2009年12月31日
  • コンビニエンスストア(ファミリーマート)(1階)
  • ライトアップ

    イルミネーションは1958年12月21日に実験的に灯され、開業から20日間毎晩点灯された。その後は日曜、祝日の前夜に点灯し1964年の東京オリンピック中は連夜点灯。これが好評であったために1965年のクリスマスイブから連夜の点灯となった。電球は鉄塔の四隅に5m間隔で250灯配置していたが随時増えてゆき、1976年には696灯(塔体384灯、アンテナ88灯、特別展望台96灯、大展望台128灯)となった。電球が切れた場合はその都度交換しに行くのは手間がかかるため、ある程度切れたら交換していたが所々光が途切れている部分は目立ち、ある芸能人から「地方から東京に帰ってきてタワーを見ると、電球が切れていて気になる」と指摘を受けている。

    電気料金は2008年12月時点では投光器の精度がアップしたことと中間部照明器具に消費電力の少ないLEDを使用していることにより、約1万8520円と約25%の省電力となっている。

    過去に「乳がん撲滅キャンペーン(ピンクリボンデー)」で桃色、映画『マトリックス・リローデッド』のプロモーションやアイルランドと日本の外交関係50周年の記念として緑色、地上デジタル放送のプロモーションや世界糖尿病デーで青色のライトアップになったこともある。

    2000年から年末年始(クリスマス終了から1月中旬まで)に大展望台の窓ガラスの外側に西暦の数字を装飾している。時間は16時30分 – 翌朝8時まで。ただし、大晦日は西暦表示の切り替え作業のため、0時から8時までの点灯となる。

    2005年12月の地上デジタル放送のプロモーションで「地デジ」の文字や、2016年の東京オリンピック招致でオリンピックの色を使った「Tokyo」「2016」の文字を装飾していた時期があった。クリスマスには大展望台にピンクのハートが点灯される。

    2007年の第58回NHK紅白歌合戦では総合優勝を決めるにあたり従来のそれぞれの審査カテゴリー別の得票最多チームをボールで数える「玉入れ方式」を行わず、東京タワーのライトアップに拠って最終成績を決めるという試みを行った。

    2008年クリスマスの期間中(2010年は12月1日 – 26日)、毎日19時半に一旦ランドマークライトアップが消灯し大展望台にピンクのハートマークや大展望台から地上へ繋がるフラッシュライトがクリスマスソングに合わせて光のショー「東京タワークリスマス・ライトダウンストーリー」を展開する。

    スポーツ大会で日本を応援する時や、優勝した場合には特別ライトアップが行われる時があり、夏・冬のオリンピック・パラリンピックで日本人選手・チームが金メダルを獲得した時、2009年のワールド・ベースボール・クラシックで侍JAPANが連覇を決めた時、サッカー日本代表がFIFAワールドカップ南アフリカ大会出場を決定した時、更には2011年にFIFA女子ワールドカップドイツ大会でサッカー日本女子代表が優勝した時には祝賀のライトアップを行った。

    2011年には石井の提案により東日本大震災によって落ち込んだ日本を応援するべく、大展望台に8400個のLEDで「GANBARO NIPPON」の文字装飾を4月11日から16日まで行った。電力は太陽光発電でまかなわれ、その後ハートマークの装飾も実施した。また、6月20日には世界難民デーにあわせ 国際連合カラーにライトアップされた。

    2013年7月18日から7月21日までの4日間は、同月19日から10月6日まで開催の「藤子・F・不二雄展」に合わせ、青・赤・黄を基調としたドラえもんカラー(青で体色、赤で首輪、黄で鈴を示す)にライトアップされた。また、9月3日のドラえもんの誕生日に合わせ、同年9月2日から9月4日までの3日間にも再び同色にライトアップされた。

    2015年11月15日は2日前に発生したパリ同時多発テロ事件への哀悼の意味を込めて、東京スカイツリーとともにフランスの国旗と同じ青・白・赤にライトアップされた。

    2017年9月23日は当日に番組終了を迎えたテレビ朝日系『SmaSTATION!!』が番組開始から16年間、東京タワーをバックにオープニングの挨拶をしてくれたことに対する感謝の意味を込めて、22時30分から2時間限定で番組テーマカラーである青色にライトアップされた。。

    ライトダウン

    設備の点検・工事などの夜間作業が行われる場合を除きライトアップの照明は0時に消灯されていたが「東京タワーのライトアップが消える瞬間を一緒に見つめたカップルは永遠の幸せを手に入れる」との噂が広まり、0時前になるとライトダウンの瞬間を見ようとする多くのカップルが集まるようになった。これは漫画『部長島耕作』で恋人の誕生日にケーキに立てるろうそくの数を1本少なく間違えた主人公・島耕作がタワーの灯を巨大なろうそくに見立てて0時の消灯と同時に吹き消して見せるシーンがあり、これが伝説の由来となっている可能性が高い。

    ライトダウンは施設管理部電気課の職員がスイッチを操作するがアンテナの設備点検や工事があるために0時以降もライトダウンしないと「なぜ今日は消えないのか」と毎回問い合わせがあるため、現在は0時に消灯して再度0時半頃に点灯することになっている。スイッチは回転式で、大展望台の上と下を別々に操作することができる。ランドマークライトからダイアモンドヴェールに切り替わる際にもライトダウンを見ることができる。

    また2011年3月12日以降、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)のため自主的なライトダウンを同年5月10日まで終日行った。5月11日から13日の3日間は白色のダイヤモンドヴェール(追悼の光)を実施し、その後は自然エネルギーを取り入れるなどさらなる省エネに努めライトアップを再開している。

    写真撮影

    東京都心部にある観光地であり、地上300mを超える光の塔となるタワーには写真撮影をする人が跡を絶たない。人とタワーを一緒に撮影する場合、敷地内ではタワーが近すぎ、また巨大であるために身をかがめて撮影する人々が見受けられる。子供を撮影するに至っては寝転がって撮影する人もいる。そのために東京タワーには正面入り口左側に記念撮影用の立て看板が設置されている。この写真は順光となる2階出入り口側の2号塔脚付近で撮影されており、団体客の集合写真も2階出入り口付近で撮影される。

    正面入り口側からの日中の撮影では、逆光で顔が黒くつぶれるためにフラッシュが必要となる。ただしその場合、タワーは暗く写るので注意が必要だが最近のカメラは自動で逆光補正を行う機種もあるためHDRやオートで撮影するのも手である。

    地上デジタル放送

    地上デジタル放送開始

    地上デジタル放送用の送信アンテナをどこに設置するかについては多摩地区、上野地区、秋葉原地区などから誘致提案が出された。しかしサービスエリアや航空路との関係などの面でいずれも決定的ではなく、2003年12月1日からの関東地区での地上デジタル放送開始に対応する仮の措置として従来アナログテレビ放送を行って来た東京タワーの施設を拡張する形で設置されることになった。このため大展望台の直下、135 – 145mの高さに送信設備室を増築し特別展望台の上の塔体最上部に直径13m、高さ11mの筒型のアンテナを設置した。

    地上デジタル放送移行に伴う問題

    デジタルテレビ電波はアナログテレビ電波に比べて送信所に近い地域(強電界地域)では受信電波障害の範囲が狭くなるが、送信所から遠い地域(中、弱電界地域)ではアナログテレビ電波同様に障害が発生する。

    2013年(平成25年)まで、東京タワーでは地上デジタル放送波の送信を行っていたが、これは暫定的な措置であり、2011年(平成23年)7月24日の地上デジタル放送全面移行後、今後さらに超高層建築物が建設されることも踏まえ、東京タワーの高さでは受信電波障害の問題を解決できず、(2009年の時点では)首都圏域すべて(アナログテレビの放送区域)をカバーし切れないと言われていた。

    この問題は、2000年代初頭から既に想定されていたが、2003年(平成15年)12月1日の地上デジタル放送開始には間に合わなかった。しかしその頃から、東京タワーに代わる新しい電波塔の建設が検討され始め、同年12月17日に東京タワーの電波障害を解消するためにNHKと民放キー局で構成する「在京6社新タワー推進プロジェクト」が発足。候補地については東京23区および近隣の数都市が名乗りを挙げて協議を重ねた結果、2006年に新塔の建設予定地が墨田区押上にある東武鉄道の貨物操車場跡地に決まりここに新塔「東京スカイツリー」(以前は仮に「第2東京タワー」や「新東京タワー」「すみだタワー」などと呼んでいた)を建設することとなった。2008年7月14日に着工し地上デジタル放送への全面移行後の2012年2月29日に完成、同年5月22日に開業した。高さは634mで電波塔としては世界一を更新し地上350m地点に展望デッキ(第1展望台・フロア340-350)、450m地点に展望回廊(第2展望台・フロア445-450・最高地点451.2m)を設置する。建設費400億円。総事業費は約650億円。本放送は2013年5月31日9時に開始された(東京タワーからの送信所切替)。

    一方、東京タワーを管理する日本電波塔は、2007年(平成19年)9月21日、放送局各局のデジタルテレビ完全移行後に、塔頂部にある現在のアナログテレビ用スーパーターンスタイルアンテナを撤去し、その場所へデジタルテレビ用アンテナを設置することで、アンテナ位置を80 – 100m上方に移動する方針を主軸とした、東京スカイツリーへの対抗案(東京タワーイノベーション計画)を打ち出し各テレビ局に打診した。80m改修案の場合、タワーの高さは変わらず、費用は約40億円で済むと言われ、各局の放送設備もそのまま流用できるなど、東京スカイツリーの建設に比べると圧倒的にコストを低く抑えられた。なお材質には、軽量の炭素繊維などを用いた場合、大掛かりな補強工事の費用は必要なく、改装費用はさらに減額することが可能であった。

    2010年(平成22年)9月27日、日本電波塔はNHKおよび民放テレビキー局5社との間でテレビ送信(NHKはFMも含む)の東京スカイツリーへの移行後、災害時などで東京スカイツリーから電波が送れない場合の予備電波塔として、東京タワーを利用する契約を結んだ。

    放送施設としての東京タワー

    放送区域

    発信される電波は、関東エリアの半径100km圏を範疇とする。

  • テレビ・FMとも基本的には関東平野一帯。それ以外の地域は近隣中継局やケーブルテレビなどで受信する。TOKYO MX(東京スカイツリーへ移転)は受信できる範囲が限られていた。
  • そのほかは受信感度が劣るものの、山梨県・長野県・新潟県・宮城県・福島県・静岡県中東部のそれぞれ一部地域でも受信ができる。
  • 災害などによって、東京スカイツリーから放送電波を送信できない場合に備え、冗長性担保のため東京タワーを災害時の予備の電波塔としてバックアップする契約が、2010年(平成22年)9月27日に、日本電波塔株式会社とNHK・在京キー局5社との間で結ばれた。なお、NHKは地上デジタルテレビのほかFM放送も含まれている。
  • 施設

    建設当初からのアナログテレビ放送送信所(送信機室)はタワービルの5階にある。ただし5階は各放送局の送信設備などが置かれた機械室となっているため関係者以外は立入禁止であり、保安上や安全上(感電事故等防止)の面からも一般人の見学はできない。

    なお、2008年9月にフジテレビONE(当時・フジテレビ739)で放送された『ばら・す』ではフジテレビのアナログテレビ送信設備の一部が放送されたほか、2011年3月にNHK総合・NHK BS2で放送された『ブラタモリ』(第2シリーズ)ではNHK教育テレビのアナログテレビ送信設備の一部が放送されている。また、2011年7月25日未明にテレビ朝日で放送された『ANN NEWS&SPORTS』や同日朝にNHK総合で放送された『NHKニュースおはよう日本』でも技術職員によるアナログ放送の完全停波作業のニュースが伝えられた際、それぞれのアナログテレビ送信設備の一部が放送されている(NHKは総合テレビの設備)。さらに、2013年5月31日9時に行われた地上デジタル放送の東京スカイツリーへの送信所完全移転の際には、関東ローカルニュースにて、東京タワーからの電波を止める瞬間の模様を放送した際に各局のデジタル送信所の一部が放送された。

    送信機は2層を使って設置されており上階にNHKのテレビジョン放送2波分、放送大学と地上デジタル音声放送の実用化試験放送用(後1者は廃局済)、下階に民放テレビジョン放送5局分、それぞれの送信機を設置。なおTOKYO MXは単独設置(アナログ送信機と共用)であった(移転済)。送信機は共通仕様に基づき設計された固体化水冷式で最大出力10kWが得られる。

    地上デジタル放送送信設備室はフットタウンと大展望台を結ぶ階段からでないと入ることができない。なお、前述のとおり放送大学以外の局については2013年5月31日9時以降、予備送信所となっている。

    特別展望台とアナログ放送用アンテナ部分の中間、高さ260 – 280mのところに直径13m・高さ12mの円筒形のアンテナを設置した。これは「3素子型2L双ループアンテナ5段15面4系統」といわれるもので、ループ型アンテナを構成するエレメントを10段30面に配置している。そして赤に塗装された上5段分から3波、白に塗られた下5段分から4波が送信される。このアンテナは前述の通り、当初は親局として使用されていたが放送大学以外の局に関しては2013年5月31日9時以降は東京スカイツリーからの送信が不可能になったときの予備アンテナとなっている。

    地上デジタル音声放送用のアンテナは特別展望台の直下、高さ約245mのところにプレートパラボラアンテナが設置されている(2011年3月31日の全局廃局に伴い、同年6月にアンテナ撤去)。これらの設備追加により塔は420tも重量が増加したとの案内が行われていた。2001年、タワーへのアンテナおよび送信機室の設置に伴って構造安全性が再検討され2003年から2005年春にかけて塔の構造材に鋼板による補強と塔脚一本につきコンクリート杭(アースドリル工法・直径3m、深さ約18.5mの基礎杭)が2本ずつ増設された。

    2003年の運用開始当初はアナログテレビの混信を避けるため出力の抑制・指向性が掛けられていたが、アナアナ変換による対策がこの地域で完了した2005年までに無指向性・所定の出力となった。

    アナログ放送のアンテナは塔頂部からNHK総合と教育(STアンテナ6段にて二重給電)、テレビ朝日、フジテレビ、TBSと日本テレビ(併設)、テレビ東京と放送大学(併設。ただし、放送大学のUHF送信アンテナはスキュー配列)(以上広域放送、NHK教育のみ全国放送)の順で塔頂部からH.27(地上27番目の鉄骨の水平材、桁)までのゲイン塔に設置されていた。ただし、TOKYO MXは開設が放送大学より後なのと県域放送(東京都のみでの放送)のため一段低い場所にあった。保守、管理をしていたのは電気興業。設計は同社の鈴田豊次(当時25歳)ら新米ばかりの若いチームだった。アンテナは送信波長の関係から太くできないため、直径17cmのステンレス丸棒を溶接したものを使用していた。ここから送信された電波は160km離れた栃木県那須湯本まで届いた。

    地上アナログテレビジョン放送の終了に伴い2011年7月25日0時に送信を終了し、地上アナログ放送用アンテナは2012年7月までに撤去された。

    スーパーターンスタイル(ST)アンテナ6段(古河電気工業納入)と、下部に2ダイポール(2D)アンテナ

    STアンテナ6段のうちの1段分(現在はNHK放送博物館に展示)。

    これらの放送局のアンテナは頂上部のTOKYO FM、特別展望台直下のNHK-FM(予備送信所)、放送大学、InterFMの順に設置されている。

    特別展望台直下のアンテナは、NHK-FM・TOKYO FM・J-WAVEの3局が、1つのアンテナを共用していたがNHK-FMとJ-WAVEについては東京スカイツリーに送信設備を移転、TOKYO FMも後述の通り頂上部に移している。NHK-FMは引き続き予備送信所として残るが、J-WAVEは本社のある六本木ヒルズ森タワー屋上の予備送信所を継続利用するため使用されていない。

    2013年2月11日より、TOKYO FMのアンテナが、NHK東京のアナログテレビのあったタワー頂上部に新設された。当初の計画では2012年1月に、従来のNHKアナログテレビのアンテナを利用して送信する予定だったが、前述の東日本大震災によるアンテナ破損があったため、旧アンテナを撤去して新設することとなった。

    InterFMでは開局時期が遅いこともあり、当初は地上150mの大展望台の直上という低い位置、ラジオNIKKEIの中継アンテナと同じ場所にあった。その後、首都圏の高層建築物の増加に伴って受信環境が悪化していたことから、アンテナを従来より高くした上で、かつ同じ周波数では混信が発生するため、同時に送信周波数76.1MHzを変更することとなった。2015年6月24日に総務省から変更許可を受け、同月26日より試験放送を開始、30日18時より本放送を開始した。10月31日まで移行期間として新旧周波数でサイマル放送を行い、11月1日より送信周波数を89.7MHzに一本化した。

    この他、以前は大展望台の直下にAMラジオのニッポン放送の中継アンテナがあった。

    一般視聴者向けの放送アンテナ以外に、テレビ局は素材を遠方の取材先から演奏所に送るためのマイクロ波による中継システムを持つ。この塔には、送られて来たマイクロ波を受信するアンテナが、FM用送信アンテナ群の直下から大展望台にかけて設置され、遠隔操作で取材地方向に向けることができる。また、タワー自体による死角ができるので、対向する2個所1組で運用。これらのアンテナで受信した電波は、映像専用回線を通じて各放送局の演奏所に送られる。

    またキー局が共同取材で素材を融通し合う場合があるが、アナログ放送時代は「タワー分岐」と呼ばれる作業により、ここで各局に分配できるようになっていた。ただしデジタル放送におけるハイビジョン映像には、タワー分岐は使われない。これはデジタル放送において、在京キー局各社がネクシオンの提供する映像伝送サービス「ネクシオンHD分岐」を、素材交換を含めて共同利用しているためである。

    なお、光ファイバーによる大容量の伝送回線網が日本全国をカバーしたため、放送局相互用マイクロ波回線(NTT中継回線)は廃止された。

    送信周波数・出力

    地上デジタルテレビジョン放送

  • コールサインは、主放送に対するもののみ。
  • 2006年12月1日に本放送開始。
  • 2018年10月末に廃止予定。
  • アナログVHFから移行した以下の7局は2003年12月1日から本放送を行ってきたが、2013年5月31日9時を以って東京スカイツリーに主送信所を移転したことに伴い東京スカイツリーから送信できなくなった場合の予備送信所に移行した。

  • コールサインは、主放送に対するもののみ。
  • NHK東京総合の空中線電力は2003年の開始当初は300Wで、その後400W→820W→2.5kW→5kWと段階的に出力を上げて2005年10月に所定の10kWとなった。
  • NHK東京教育および広域民放5局の空中線電力は2003年の開始当初は15.5Wで、その後700W→1.2kW(広域民放5局のみ)→2.5kW→5kWと段階的に出力を上げて2005年10月に所定の10kWとなった。
  • 予備送信所移行後も技術諸元は移行前と変わらず。
  • FMラジオ放送

  • コールサインは、主放送に対するもののみ。
  • 2013年2月11日4時55分以前のTOKYO FMのERPは44.1kW。
  • 2018年10月末に放送大学は廃止予定。
  • 2012年4月23日の放送開始から主送信所を東京スカイツリーに移したため、東京スカイツリーから送信できなくなった場合の予備送信所に移行した。

  • コールサインは、主放送に対するもののみ。
  • NHK-FM放送の開始日は、全国一斉本放送の開始日。
  • マルチメディア放送

    廃止された放送局

    地上デジタルテレビジョン放送

    廃止日:2013年5月12日(東京スカイツリーへの移転のため)

  • コールサインは主放送に対するもののみ。
  • TOKYO MXの空中線電力は2003年の開始当初は29Wで、その後700Wに出力を上げて2005年8月に所定の3kWとなった。
  • TOKYO MXは東京スカイツリーへの送信所移転に伴う周波数変更をスムーズに行うため、2012年11月12日から東京タワーからの放送波を段階的に減力し、2013年5月12日正午に東京タワーからの送信を終了した。
  • 地上アナログテレビジョン放送

    廃止日:2011年7月24日(放送法による一斉免許失効のため)

  • コールサインは主放送に対するもののみ。
  • NHKは当初教育テレビ(Eテレ)が1chで開局。その数か月後紀尾井坂送信所から放送していた総合テレビとチャンネルを入れ替え、一旦タワーからの教育テレビ送出を終了。翌年TBSの送信所移設に合わせて再度タワーからの放送を開始。
  • 日本テレビの運用開始日は、麹町二番町に当時あった本社から送信所を移した日付。2012年10月1日、「日本テレビ分割準備」が持株会社に移行する「(旧)日本テレビ」から免許を継承、同日、「(新)日本テレビ」に商号変更した。
  • TBSテレビは1955年4月1日に「ラジオ東京テレビ」として開局。1960年11月29日に「東京放送 (TBS)」と改称。段階的に進めてきた分社化・持株会社制移行に伴い2001年10月1日にコールサインを変更。2009年4月1日、「TBSテレビ」が持株会社に移行する「東京放送」から免許を承継した。
  • テレビ朝日は当初「日本教育テレビ(NET)」として開局。1977年4月1日、「全国朝日放送(ANB)」に社名を変え「テレビ朝日」の通称使用を開始。旧本社を含む六本木ヒルズ再開発落成による原点の地再復帰に際し通称を正式社名とした。2014年4月1日、「テレビ朝日分割準備」が持株会社に移行する「(旧)テレビ朝日」から免許を承継、同日、「(新)テレビ朝日」に商号変更した。
  • テレビ東京は当初「日本科学技術振興財団テレビ局」として開局し、「東京12チャンネル」を通称として使用。経営再建、教育局解除により1973年11月1日に新民放「東京12チャンネル」として再出発し1981年10月1日に今の社名となった。
  • 放送大学は放送局の開局日で、大学の授業開始日ではない。また、免許は大学ではなく大学を経営する法人に与えられていた。これは運用中のデジタルテレビ・FM局も同様。
  • 地上デジタルラジオ放送実用化試験

    廃止日:2011年3月31日(実用化試験放送終了のため)

  • コールサインの「JOAZ」はかつてはNHKに指定するものとされ、NHK旭川第2放送名寄中継局に、続いてNHK佐世保第2放送に指定された。NHKでの廃止後には臨時目的放送局に指定するものとされ、複数のイベント放送局・臨時災害放送局に指定されたが1994年にぎおん柏崎まつり(柏崎市)に指定された後は、何れの無線局にも指定されていなかった。
  • FMラジオ放送送信設備

    廃止日:2012年4月23日(東京スカイツリーへの移転のため、J-WAVE)、2015年10月31日(下記周波数の運用終了のため、InterFM)

  • 局名は略称・愛称で表記。
  • コールサインは主放送に対するもののみ。
  • 比較

    日本国外の建造物については東京タワーの高さを超える主要建造物のみ掲載。

  • 原町無線塔 – 1921年完成、1981年撤去・200m
  • 千住火力発電所(お化け煙突) – 1926年完成・83.82m
  • エンパイア・ステート・ビルディング – 1931年完成・443.2m
  • 名古屋テレビ塔 – 1954年完成・180m
  • 通天閣 – 1956年完成・100m
  • 別府タワー – 1957年完成・100m
  • さっぽろテレビ塔 – 1957年完成・147.2m
  • 東京タワー – 1958年完成・333m
  • KVLY-TV塔 – 1963年完成・628.8m
  • 凌雲閣 – 1890年完成・約52m
  • 霞が関ビルディング – 1968年完成・147m
  • ワールドトレードセンター – 1974年完成、2001年米同時多発テロ事件により崩落・417m
  • ワルシャワラジオ塔 – 1973年完成、1991年崩落・646m
  • 横浜ランドマークタワー – 1993年完成・296.33m
  • 明石海峡大橋 – 1998年完成・298.3m
  • 台北101 – 2004年完成・509.2m
  • ブルジュ・ハリーファ – 2010年完成・828.9m(世界一)
  • 東京スカイツリー – 2012年完成・634m
  • あべのハルカス – 2014年完成・300m
  • ギャラリー

    東京タワー周辺

    地デジアンテナ増設前の東京タワー

    六本木ヒルズ森タワーからの眺望

    港区芝公園周辺・空撮

    東京タワーと東京スカイツリー

    大展望台への上り階段(2010年撮影)

    大展望台2階(2010年撮影)

    大展望台2階の神社、タワー大神宮

    特別展望台へのエレベーター(2010年撮影)

    特別展望台(2010年撮影)

    特別展望台の室内(2011年撮影)

    特別展望台を掃除する作業員の服装

    東京タワー水族館入口

    東京タワー正面の柵

    敷地内にある東京タワースタジオ

    1号塔脚

    1号塔脚

    春の東京タワーと増上寺(2011年撮影)

    増上寺境内より

    夜景・ライトアップ

    2020年五輪招致記念ライトアップ。六本木より(2013年12月)

    2020年五輪招致記念ライトアップ、夕刻に点灯した文字部分をクローズアップ撮影(2013年12月)

    夕方の東京タワー(2012年)

    東北地方太平洋沖地震にて電力不足となったため、節電に協力する東京タワー(2011年)

    クリスマスのライトアップ(2010年12月)

    世界糖尿病デーのダイヤモンドヴェール(2010年11月)

    世界貿易センタービル展望室より(2010年10月)

    冬のライトアップ(2010年10月)

    雨の日の赤羽橋駅付近より(2010年5月)

    雨の日に真下より(2010年5月)

    天皇皇后の金婚記念のライトアップ(2009年4月9・10日)

    50th Anniversary(2008年)

    50th Anniversary(2008年)

    アイルランド・日本外交関係樹立50周年記念(2007年3月)

    赤羽橋方向からの東京タワー(2006年)

    「地上デジタル放送」関東フルパワー送信記念(2005年12月)

    乳がん撲滅キャンペーン期間限定(ピンクリボンデー)のライトアップ(2005年10月)

    『SmaSTATION!!』最終回放送当日のライトアップ(2017年9月23日)

  • 参考
  • 1988年当時の東京タワー

    以前の塔脚

    タワービル入口

    東京タワー大気汚染立体測定室にあった風速表示

    塔脚に設置されていた照明

    「東京タワー」の名称を使用した企業

    1963年4月15日に東京タワーを使用した社名として「東京タワー観光バス」が設立された。同社は1969年10月2日に国際興業に買収され、1972年4月1日に合併された。

  • 株式会社東京タワースタジオ
  • 株式会社東京タワーパーキングセンター
  • 東京タワーを扱った作品

    東京タワーはその時代や東京という地理的背景を説明するためのシンボルとして、建設以来実にさまざまな小説や映像作品の中に登場している。本項では、数多の作品の中からその一部を紹介する。

    テレビドラマ・映画・小説

  • Tokyo Tower – 江國香織の小説およびそれを原作にした映画。
  • 東京タワー ?オカンとボクと、時々、オトン? – リリー・フランキーの小説およびそれを原作にしたテレビドラマ・映画。
  • ALWAYS 三丁目の夕日 – 建設中の姿で劇中に登場。徐々に高くなっていく様子が正確に描かれている。製作は電波塔集約で難色を示した日本テレビ。
  • ALWAYS 続・三丁目の夕日 – 前作で完成した状態で登場。また、茶川竜之介の書いた小説では怪獣(ゴジラ)に壊されている。
  • ALWAYS 三丁目の夕日’64 – 前々作で完成した状態で登場。3D版ではオープニングで俯瞰映像が飛び出て表現されている。
  • 東京トンガリキッズ – 1987年の中森明夫の小説。
  • 東京画 – 1985年のドイツ映画。
  • 微熱少年 – 松本隆の小説、それを原作にした映画。ザ・ビートルズのチケットを得るために東京タワーを登れるところまで登って、鉄骨にリボンを結ぶ競争をする。
  • マンモスタワー – 1958年のKRテレビ(現在のTBSテレビ)放送のテレビドラマ。新興メディア、テレビの象徴として描かれる。そびえ立つ東京タワーの下、映画会社の重役達はテレビの将来性を黙殺する。
  • たそがれの東京タワー – 1959年の大映制作映画。完成したばかりの東京タワー、大展望台などが幾度も登場する。
  • 東京タワー・ラヴストーリー – 2004年の落語協会が主催する第1回「新作台本大賞」で大賞に選ばれた落語作品。柳家喬太郎が演じる。
  • 漫画・アニメ・特撮

  • 月光仮面 – 昭和33年放送のテレビ番組。第2話で建設途中の東京タワーが映っているシーンがある。
  • こちら葛飾区亀有公園前派出所 – 単行本136巻および「こち亀千両箱」に収録されている「ぼくたちの東京タワーの巻」がある。
  • 魔法騎士レイアース – 主役の少女3人が物語冒頭で出会う場所として設定されており、第二章では再び3人が集まる場所として登場する。また、『X』や『カードキャプターさくら』など他のCLAMP作品および原作アニメ作品にも重要な舞台として登場する。
  • 仮面ライダーカブト – 東京タワーが都会性の象徴であるかのように用いられており、全話に登場する。日本電波塔の事務所内部をロケに使用したエピソードもある。
  • クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲 – 作中に登場する「20世紀博」のタワーは、東京タワーをモデルとしている。終盤ではタワーの階段を駆け上がるシーンもある。
  • 東京マーブルチョコレート – 東京タワー(赤)と東京スカイツリー(青)が登場する。
  • 代紋TAKE2 – テロリストによって倒壊させられ、ソ連大使館(当時)にも被害を与える。なお、テロリストの1人が後述する「ゴジラの映画で倒されるのを見た」という誤認をしている。
  • メーターの東京レース – 公道レースのゴールとして登場。タワー内部は螺旋状の道路になっている。
  • カーズ2 – 東京見物の最初のシーンに少し登場。上記のものとは違い、アンテナ部分がプラグになっている。
  • 嘘喰い – 東京タワーを模した「帝国タワー」で斑目貘がギャンブルを行う。蝋人形館も登場する。
  • 東京マグニチュード8.0 – 東京湾北部を震源とする大地震によって破損し、基礎部分がむき出しになる。翌日に基礎のコンクリート柱が崩壊して倒壊した後、復旧工事の際に残骸の撤去作業が行われている。
  • 名探偵コナン 漆黒の追跡者 – 「東都タワー」という名称で登場。終盤では、黒の組織の攻撃ヘリコプターに追われる江戸川コナンが大展望台から階段でタワーを駆け上がるシーンもある。
  • ぼくの地球を守って – 作中の重要ポイントとして扱われている。
  • プロゴルファー猿 – 第9話「星雲編」でパリのエッフェル塔から、アーノルド・パーマーがショットを放ち、どのくらい飛んだかを実験する企画から発想を得た番組に主人公の猿が出演し、東京タワーの展望台からショットでボールを遠くへ飛ばす。
  • 特命戦隊ゴーバスターズ THE MOVIE 東京エネタワーを守れ! – 劇中で「東京エネタワー」として登場。撮影に全面協力しており、ノッポンも特別出演している。
  • 怪獣もの

    怪獣と東京タワーは縁が深い。最初に東京を襲った大怪獣はゴジラであるが、その際には東京タワーを破壊していない(第1作の公開は1954年であり、竣工すらしていない)。しかしその後東京タワーを倒す怪獣が数多くなり、特にテレビで怪獣ものが流れるようになってからは頻繁に倒されるようになった。

    なお日本の怪獣映画のスターであり、最初の怪獣映画でもある初代ゴジラが東京タワーを倒したとの印象が広く浸透している。たとえば、下記の小松左京の小説にも「型通りに」東京タワーを壊したと書かれてある。同様の例として、清原なつのの少女漫画作品である『ゴジラサンド日和』ではリバイバルのゴジラを見に行ったかつてのカップルを描写したシーンでゴジラが「うりゃっ」というかけ声とともに東京タワーを叩き折っているシーンが出てくる。これらは少なくとも「怪獣は東京タワーを破壊するもの」とのイメージが実在したことを示すものである。

  • モスラ – モスラ幼虫が成虫になるため繭を作る。怪獣によって東京タワーが破壊された最初の例。ただ、東京タワーが破壊された直接の原因を「モスラを狙った自衛隊の砲撃」と解釈する向きもある。劇中場面で見る限り確かにタワー自体の倒れる方向が若干不自然だが、種々の書籍資料では「モスラの重量に耐えきれず倒壊」または「モスラが破壊した」ということになっている。
  • キングコングの逆襲 – 日米合作による怪獣映画。キングコングとメカニコングが互いに東京タワーに登りながら闘う。この闘いにより展望台の一部と頂上部のアンテナの一部が破壊される。
  • 大怪獣ガメラ – 東京を蹂躙するガメラが根元から破壊する。なお、このシーンは続編『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』にも登場する。
  • ガメラ 大怪獣空中決戦 – 怪獣ギャオスを狙って発射された自衛隊の81式短距離地対空誘導弾が誤爆して破壊され、そこにギャオスが巣を作る。漫画家のゆうきまさみは、このシーンを平成の怪獣映画中でもっとも美しいシーンであると取り上げている。なおこのシリーズにおいては東京タワーは再建されず、次作『ガメラ2 レギオン襲来』では折れたままの姿が1シーンのみ描かれる。
  • ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS – ゴジラシリーズの中で唯一ゴジラによって東京タワーが破壊される作品。モスラを狙って発射されたゴジラの熱線が回避され、その後ろにあったタワーを直撃する。
  • ウルトラQ – 円谷プロダクション。1966年製作の空想特撮シリーズ第1弾。第19話「2020年の挑戦」において巨大化した誘拐怪人ケムール人に神田博士の発明した「Kミニオード」から発せられる「Xチャンネル光波」を東京タワーより照射して倒す。これは東京タワーによって怪獣が倒された唯一の例といわれる。また、第16話の「ガラモンの逆襲」ではガラモンに倒されている。なお、東京タワーは他のウルトラシリーズ作品でも多く登場している。
  • 地球になった男 – 小松左京の短編小説。どんなものにも変身できる能力を持った男が、気晴らしにゴジラに変身して破壊する。
  • その他にも『三大怪獣 地球最大の決戦』『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』『ゴジラ FINAL WARS』『巨神兵東京に現わる』など多くの怪獣映画で東京タワーが登場し、かつ破壊されている。

    音楽

  • 末永華子「LaLa空中散歩」 – 東京タワー公式キャンペーンソング・CMソング(アルバム『東京タワー』収録)
  • ミラクル・ヴォイス(青山ユキオ)「東京333米」
  • 山下敬二郎&朝丘雪路「テレビ塔音頭」
  • なぎら健壱「東京タワー」
  • 角松敏生「TOKYO TOWER」
  • 井上昌己「星空からのエレベーター」(アルバム『matiere』収録)
  • 松任谷由実「手のひらの東京タワー」(アルバム『昨晩お会いしましょう』収録)
  • 小松未歩「東京日和」(アルバム『小松未歩 7 ?prime number?』収録)
  • CHAGE「トウキョータワー」
  • 遠藤賢司「哀愁の東京タワー」(アルバム『東京ワッショイ』『宇宙防衛軍』収録)
  • ルドイア☆星惑三第「東京タワーとあなたと火星」(火星るる)
  • 爆風スランプ「おしゃれな東京タワー」(アルバム『しあわせ』収録)
  • 美空ひばり「東京タワー」
  • 池田聡「東京タワーを消せるなら」
  • 小沢健二「ぼくらが旅に出る理由」
  • アグネス・チャン「東京タワーを鉛筆にして」
  • 寒空はだか「東京タワーの歌」
  • THE BOOM「東京タワー」
  • カズン「午前0時の東京タワー」(アルバム『ふたりのSomeday』収録)
  • 渡辺美里「BIG WAVE やってきた」(アルバム『BIG WAVE』収録)、「東京生活」(アルバム『Spirits』収録)
  • ロス・インディオス&シルヴィア「別れても好きな人」
  • 佐藤聖子「東京タワー」
  • 門あさ美「東京タワー・シック」(アルバム『麗 (u ra ra)』収録)
  • 拝郷メイコ「東京タワー」(アルバム『HELLO TREE』収録)
  • 木下詩野「タワーの灯りで眠らせて」
  • TOWER OF LOVE – 1991年に東京タワー竣工33年目を記念したイメージアルバム。BGV(バックグランドビデオ)。参加アーティストはCindy、松下誠、渡辺直樹、米川英之 他。
  • Salyu「Tower」
  • フラワーカンパニーズ「東京タワー」(アルバム『東京タワー』収録)
  • 関連商品

    東京タワーは開業当初から観光施設としての性質を持ちミニチュア(タワー模型)やプラモデル、ペナント、絵葉書などのおみやげ品が用意されていたが近年上記の『Tokyo Tower』や『東京タワー ?オカンとボクと、時々、オトン?』、『ALWAYS 三丁目の夕日』などで別の意味で注目されるようになり一般の店舗での関連商品が登場した。

  • 重厚長大・昭和のビッグプロジェクトシリーズ 偉大なる建設 東京タワーの建設記録(DVD) – 2007年7月25日、ジェネオン エンタテインメントから発売された竹中工務店の記録映像。基礎を作り上げてゆくところから観ることができる。33分。オールカラー。
  • 東京タワー2007 – 2007年6月に発売されたセガトイズの東京タワー1/500模型で高さ66.6cm、LEDによりライトアップを再現する機構を持つが航空障害灯やエレベータの明かりは再現されていない。定価1万3330円。同年11月には限定クリスタルバージョンを発売。設計は同社社員の加藤武彦。実物は想像以上にとがった形のため、地上からタワーを見上げる場合の見え方とはズレがあり、すそを広げた形に設計し直している。製品をタワー建設に携わった鳶職人の桐生五郎に見せたところ、目を細めて「姿の美しいものは良いものだ」とため息を漏らした。
  • 東京タワー物語 – 2008年4月にタカラトミーから発売された1/2000のクローズドボックスフィギュアで、1958年建設時など様々な東京タワーの形態を再現。レアアイテムにはLED内蔵の発光機構を備えたものもある。
  • 交通アクセス

    鉄道

  • 赤羽橋駅(都営地下鉄大江戸線)から徒歩5分
  • 御成門駅(都営地下鉄三田線)から徒歩6分
  • 神谷町駅(東京メトロ日比谷線)から徒歩7分
  • 大門駅(都営地下鉄浅草線・大江戸線)から徒歩10分
  • 浜松町駅(東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線・京浜東北線、東京モノレール羽田空港線)から徒歩15分
  • 路線バス

  • 東京タワー(東京タワー敷地内、徒歩0分)
  • 都営バス
  • 〈浜95〉品川駅港南口(浜松町駅前経由)
  • 〈橋86〉目黒駅前(天現寺橋経由)
  • 日の丸自動車興業
  • スカイホップバス(六本木・東京タワーコース)
  • スカイホップバス(お台場コース)
  • WILLER EXPRESS(高速バス)
  • 東京・川崎・横浜・千葉・山梨 – 大阪・京都・神戸・滋賀・和歌山・姫路線(一部)
  • 東京・千葉 → 仙台・福島線(一部、東京発のみ)
  • 東京・千葉 → 長岡・新潟線(一部、東京発のみ)
  • 京成バス、日東交通、鴨川日東バス
  • 高速バス「アクシー号」亀田病院(木更津金田バスターミナル・袖ケ浦バスターミナル・安房鴨川駅経由)
  • 東京タワー(道路沿い、徒歩1分)
  • 都営バス、東急バス
  • 〈浜95〉品川駅港南口(浜松町駅前経由)(都営)
  • 〈東98〉東京駅丸の内南口/等々力操車所前(白金高輪駅・目黒駅前経由)(東急)
  • 虎ノ門五丁目(桜田通り、徒歩3分)
  • 都営バス
  • 〈渋88〉新橋駅前(虎ノ門経由)/渋谷駅前(六本木駅前経由)
  • 〈橋86〉新橋駅前(御成門経由)/目黒駅前(天現寺橋経由)
  • 東麻布一丁目(東京タワー下)、東京タワー入口
  • ちぃばす(港区コミュニティバス)
  • 〈麻布ルート〉港区役所・六本木けやき坂・広尾駅・麻布十番駅循環
  • 東京タワーパーキングセンター(50台、最初の60分580円、以後30分200円)
  • 歴代イメージガール

  • 2003年度(初代) – 鮎河ナオミ
  • 2004年度 – 杉浦美帆
  • 2005、2006年度 – 小林さくら
  • 2007年度 – 遥香
  • 2008年度 – 折井あゆみ(元AKB48)
  • 2009、2010年度 – 梅田彩佳(AKB48)
  • 2011年度 – 小林香菜(AKB48)
  • 歴代東京タワーアンバサダー

    2011年度までの「イメージガール」に代わる新しいキャンペーンキャラクターとして2012年度より「東京タワーアンバサダー」を制定。

  • 2012年度(初代) – 吉松育美(同年度ミス・インターナショナル日本代表。同年10月世界大会グランプリ)
  • 2013年度 – Mei
  • 2014、2015年度(東京タワー観光大使) – 金ケ江悦子(ビューティーディレクター、インストラクター)
  • 提供番組

  • 東京タワー presents DIAMOND VEIL(TOKYO FM)
  • InterFM クラブ333(展望台)生放送(月1 – 2回程度日中)
  • ※ 参照元:https://ja.wikipedia.org